モリコラ第13章~仲間外れにされている京葉線東京駅~成田空港関連の話

開口一番痩せたと言われているがーらけにあです。

Nabe氏出演動画になります。
京葉線東京駅が遠い事についての話になります。
これは成田新幹線計画と大きくかかわっており、

モリコラ第13章~仲間外れにされている京葉線東京駅~

https://galakenya.tumblr.com/post/189244939930/%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%A9%E7%AC%AC13%E7%AB%A0-%E4%BB%B2%E9%96%93%E5%A4%96%E3%82%8C%E3%81%AB%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E4%BA%AC%E8%91%89%E7%B7%9A%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%A7%85

成田新幹線は東京と新東京国際空港(現 成田国際空港)を結ぶ高速鉄道として、1971年(昭和46年)1月に全国新幹線鉄道整備法4条第1項の規定による『建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画』により公示された3路線のうちの一つである。同年4月に整備計画が決定され、日本鉄道建設公団によって1976昭和51年)度の開業を目指して着工されたが、沿線自治体の建設反対運動空港反対派の運動が激しく、用地買収が進まなかったため、工事は中断され、国鉄民営化に伴い整備計画は失効した。その後、成田空港付近のすでに完成していた路盤などは、JR東日本と京成電鉄の成田空港ターミナル内乗り入れ路線として活用されている。

駅名
キロ程
所在地
0
37.67
64.99


将来的には、東京駅から新宿駅までの延伸構想もあったとされる。新宿駅では、当初同駅をターミナルとする形で計画された上越新幹線と接続し、同線と直通運転を行うことも想定されていたといわれ、東京駅のホームの場所が他路線と離れた鍛冶橋通りの地下とされたのも「新宿延伸が容易」という理由があったとされる。なお、この成田新幹線東京駅のホームの位置は、同一駅ではないものの、当時の国鉄他路線の東京駅より徒歩圏内にある当時の営団地下鉄東西線大手町駅との間の距離よりも長い。
計画ルート
東京駅
将来の新宿方面への延伸を考慮し、東海道本線と鍛冶橋通りが交差する地点(東京駅 - 有楽町駅間のほぼ中間)の地下に、成田新幹線用の駅施設が計画された。国鉄により現在京葉線への乗り換え通路として使われている通路の一部が建設されたが、乗り場部分の実際の掘削工事には着手されないまま、1983年の工事凍結を迎えた。その後JR東日本により、京葉線の駅施設の建設工事が同じ場所で新たに開始され、現在のプラットホームその他施設として使用されている。
東京駅 - 越中島貨物駅付近
成田新幹線用に検討された用地を活用する形で京葉線が建設された。このためこの区間のルートは現在の京葉線とほぼ同一である。なお、用地を流用しただけであり、京葉線用のシールドトンネルは新規に掘られたものである。
越中島貨物駅付近 - 原木中山駅付近
総武本線越中島貨物駅の西側で地上に出て東方向へほぼ直進し、荒川を渡ったあたりから原木中山駅付近まで東京メトロ東西線に並行する予定だった。
原木中山駅付近 - 武蔵野線交差部
原木中山駅の北側で東西線から少し離れ、現在の千葉県船橋市本郷町付近から中山競馬場の南東側まで長さ1.8kmの地下トンネルを通り、トンネルを抜けた直後に武蔵野線の下をくぐる予定だった。
原木中山駅付近
原木中山駅の北側にある真間川の両岸で用地買収が行われている。右岸の用地は以前、日本国有鉄道清算事業団の宿舎があったが、現在は民間企業のビルが建っている。また、左岸の用地は2008年現在で駐車場であった、“工”字の境界標が今も残る[
武蔵野線交差部
武蔵野線西船橋 - 船橋法典間のほぼ中間の線路施設は、成田新幹線を下に通すことを考慮し、比較的スパンの長い鋼製の架道橋(小金線中山架道橋)が設けられている。
武蔵野線交差部 - 千葉ニュータウン駅付近
北東方向へほぼ一直線に進み、新京成電鉄新京成線の三咲駅付近を通って現在の北総鉄道北総線の小室駅と千葉ニュータウン中央駅のほぼ中間で北総線に合流する予定だった。
千葉ニュータウン駅付近 - 印旛日本医大駅付近
千葉県が確保した鉄道用地を使用する予定だった。千葉県は千葉ニュータウンの造成工事の際、ニュータウンを東西に横断する複々線分の鉄道用地と北千葉道路の用地を確保し、当初の計画では新鎌ヶ谷 - 小室間で北総開発鉄道(現・北総鉄道北総線の第一種鉄道事業区間)と千葉県営鉄道北千葉線(未成線、2002331日免許廃止)を並行して整備し、小室(実際は小室 - 千葉ニュータウン中央間のほぼ中間) - 印旛日本医大間では、成田新幹線と北千葉線(現・北総鉄道北総線の第二種鉄道事業区間)を並行して建設することになっていた。
北総鉄道北総線の北側に並行して成田新幹線用の敷地が空き地のまま残っていたが、2017年(平成29年)に大規模太陽光発電所(ソーラーパネル)が開設された。また、千葉ニュータウン中央駅に隣接して成田新幹線の千葉ニュータウン駅(東京駅起点37.7km地点)が設けられる予定だった。
印旛日本医大駅付近 - 成田市土屋付近
印旛日本医大駅の北側から、現在の京成成田空港線(成田高速鉄道アクセス)と、並走するようなルートをとる計画だった。印旛沼の東側(八代付近)には、車両基地(成田総合車両基地)の設置が予定されていた。また、現在の京成成田空港線成田湯川駅以東の単線にあたる区間は、成田新幹線では、ほぼ直線で土屋付近に到達する予定だった。
成田市土屋付近 - 成田空港駅
1983年(昭和58年)の工事凍結までに、成田市土屋地区から成田空港まで高架・地下トンネルによる路盤が完成している(トンネル工事では、日本国土開発が開発したプレライニングサポート工法が初めて採用された)。成田開港に千葉港からの航空燃料用パイプラインの敷設が間に合わなかったため、1983年に完成するまで燃料中継基地が土屋地区に置かれ、市原・鹿島からのジェット燃料輸送用の貨物列車の受け入れを行なっていた(暫定輸送。土屋-空港間はパイプライン輸送)。パイプラインが稼働を開始して燃料輸送の役目を終えた後、施設は暫くの間放置されていたが、1991年(平成3年)に開業した成田空港高速鉄道線に転用された。

国鉄の組合が反対しているのもあって本来は国鉄(現・JRグループ)が新幹線が中止になったとしても在来線で乗り入れをしていたはずなのに平成に入るまで成田空港へ行くのは京成のみであったが、旧成田空港駅でも羽田空港みたいに直結していないのでバスで移動するなど移動の負担が大きいらしい。(現在の東成田駅)旧成田空港駅の路線(東成田線)は赤字
平成に入ってからターミナルまで乗り入れと同時にJR東日本vs関東標準軌鉄道(まずは京成)との競合が始まっていたのも過言ではない。
羽田空港の東京モノレールはマークは国鉄に似ているが日立グループなのでJRとは無関係であったが、JR東日本が東京モノレールを買いいた挙句子会社化したため間接的ではあるが京急と競合している。

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