モリコラ第29章~首都圏のJRはなぜ複々線にしないの?~

モリコラ(動画)大量更新をしているモーリーです。


https://galakenya.tumblr.com/post/619080825938591744/%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%A929%E7%AB%A0-%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E8%A8%98%E4%BA%8B

国鉄時代において通勤方面作戦という各路線の複々線化を実施しており、


東海道本線
系統路線名
1…民営化後のJR東日本が東北・山手貨物線・横須賀線の線路である品鶴線を活用した系統路線名
2…民営化後のJR東日本が、東北・山手貨物線・品鶴線・東海道貨物線の線路を活用した系統路線名
3…常磐線の本来の起点が上野ではなく日暮里であるが上野または品川まで直通運転している
東海道本線(湘南電車)と横須賀線はそれまで東京駅 - 大船駅間で線路を共有して運行されていた。これが双方路線の列車増発の障壁となっていた。
この状況を打破するため、俗に“SM分離”(両路線列車の列車番号の末尾英字の組み合わせから)と呼ばれる対策が取られた。具体的には以下のものである[10]
1.  東京駅 - 品川駅間に地下線を増設。東京駅地下ホームから総武快速線と相互直通運転を行えるようにする。
2.  貨物専用線である品鶴線を旅客化。貨物列車は武蔵野線経由へと移行する。
o    新鶴見信号場 - 鶴見駅間は旅客専用線を新設し複々線とする。
3.  鶴見駅 - 戸塚駅間に羽沢町経由の貨物専用別線を建設、戸塚駅 - 大船駅間の複々線(旅客線と貨物線)に新たな複線を付け加えて三複線とし、従来の貨物線を旅客用に転用する。
上記のうち、3. の貨物線新設に関しては建設地住民による建設反対運動が起きたため計画は遅れ、完成は1979(昭和54年)となった。翌1980(昭和55年)10月には鶴見駅 - 大船駅間の貨物線を横須賀線用に改良する工事が完了し、東海道本線と横須賀線の分離運転が開始された。
なお、東海道本線では上記のほか、大船駅 - 小田原駅間の改良も計画された[10]
1.  既に旅客線と貨物線による複々線となっていた大船駅 - 平塚駅間を三複線化し、旅客線を複々線、貨物線を複線とする。
2.  複線であった平塚駅 - 小田原駅間に貨物線を新設して複々線化。
上記のうち2. に関しては197910月に完成したが、1. については見送られている。


中央本線
系統路線名
中央線快速(東京~高尾)※1
中央総武緩行(三鷹~御茶ノ水)※2
1…オレンジ色の電車の中央線と呼ばれており、系統としては東京から高尾までだが、中央線快速の車両を用いた運用区間は高尾から先山梨県まで足を延ばすこともある。
2…中央総武線は黄色い電車の事で総武線とも呼ばれている
本路線のみ、五方面作戦として銘打たれる前の第二次五ヵ年計画時から本格的な工事が着手されている。それは、武蔵野地域は沿海部の埋立地より開発が容易であり、隣接県の田園・丘陵地帯よりはある程度市街化の素地があったからである。このため、高度経済成長初期には最も沿線人口の伸び率が大きかった。中央本線系統では既に完成していた御茶ノ水駅 - 中野駅間の複々線を三鷹駅立川駅まで延伸する事と、建設が開始されていた営団地下鉄(現・東京地下鉄東西線へ中野駅から国電が直通する事が計画の基本となった。
1966(昭和41年)に中野駅 - 荻窪駅間の複々線化が完成して地下鉄東西線との直通運転が開始され、続く1969(昭和44年)には三鷹駅までの複々線化が完了した。しかし、三鷹駅 - 立川駅の区間は複々線工事に取り掛かることなく現在に至っている。そのため工事が施行された他方面にくらべて急行線を走る快速電車の列車本数が過密である状況が続いている。
詳細Wikipediaの「中央線快速#歴史」を参照

東北本線
系統路線名
1…新幹線と並走し、経路を逸脱するがあちらも東北本線の一種で東北本線別線と呼ばれている。東北本線(別線)・赤羽線・山手貨物線を活用した系統路線名
この系統では、通勤五方面作戦が始まる前、赤羽駅 - 大宮駅間は列車線と貨物線による複々線となっており、東北本線(宇都宮線)列車と京浜東北線電車が同区間で列車線を共用していた。この区間に新たな貨物線を建設し、従来の貨物線を列車線に転用し三複線化して、東北本線列車と京浜東北線列車を分離することとした。また、この分離で線路数が増え、列車の運行本数も増加することから、同時に川口駅 - 大宮駅間のすべての踏切を撤去して完全立体化された。加えて、大宮駅北側における東北本線と高崎線の平面交差を、立体化により解消することとした。
大宮駅における東北本線と高崎線の立体交差工事は1965(昭和40年)9月に、与野駅 - 大宮駅間の三複線化・立体化は1967(昭和42年)10月に完成している。赤羽駅 - 与野駅間の三複線化・川口駅 - 与野駅間の立体化は、「ヨンサントオ」改正の実施に合わせて1968(昭和43年)10月に完成している。

常磐線
系統路線名
常磐快速線(上野(起点は日暮里)~取手)
→常磐線中距離電車
常磐線では、北千住駅 - 取手駅間(うち北千住 - 綾瀬間は営団が千代田線として建設)を複々線化し、快速電車中距離電車特急列車各駅停車をそれぞれ常磐快速線常磐緩行線とに分け、常磐緩行線電車は全てが新規に建設される営団地下鉄(現・東京地下鉄)千代田線と相互直通運転する事とされた。
1971(昭和46年)4月に我孫子駅までの複々線化と、霞ヶ関駅まで開通していた営団地下鉄千代田線との直通運転が実施され、1982(昭和57年)11月には緩行線の我孫子 - 取手駅間の開業となっている。しかし、各駅停車列車が上野駅に直通しないことや、営団にまたがる運賃が割高であったこと等から「迷惑乗り入れ」といわれる社会問題も引き起こし、運行面の問題は現在に至ってもほとんど改善されていない。

総武本線
系統路線名
中央総武緩行(御茶ノ水~千葉)※2
総武本線では錦糸町駅 - 千葉駅間において、快速・特急列車と各駅停車をそれぞれ総武快速線総武緩行線とに分離する複々線化を行った。また同時に東京駅 - 錦糸町駅間に地下新線を建設して東京駅に乗り入れ、さらに横須賀線列車との相互直通運転の実施を計画した。また前述した地下鉄東西線へも一部緩行線電車が西船橋駅 - 津田沼駅間で相互乗り入れを行う事とした。
東西線との相互乗り入れは1969年(昭和44年)に開始され、東京駅 - 錦糸町駅 - 津田沼駅間の新線・複々線は1972(昭和47年)7月に、津田沼駅 - 千葉駅間の複々線は1981(昭和56年)10月に完成している。常磐線の場合と異なり、こちらでは東京駅へのアクセスが従来は秋葉原駅で乗換える必要があったところが、改良後は快速が直接乗り入れるようになったので沿線住民から絶賛された。

山手線
系統路線名
山手線と言えば東京の環状線というイメージがあるかもしれませんが、正式な路線名としての山手線は品川~新宿~池袋~田端であるが、この区間の横を走る埼京線・湘南新宿ラインなどが走る線路も実は山手線の貨物線を旅客化した路線である。
よって山手線は全区間複々線(湘南新宿ラインが通らない大崎~品川の山手貨物線は成田エクスプレスが使用している)の路線である。



ホームページ
現在使用中 ※移転予定
※移転先予定のホームページ
SNS
ほぼ毎日更新している
更新頻度極少
更新頻度極少
たまに更新する
YouTubeサムネイルを中心に投稿

コメント

このブログの人気の投稿

大菅踏切事故について

京王線の列車番号が把握ができるサイト

貨物ちゃんねる運用状況表を一気に開く便利な記事