大菅踏切事故について
成田線大菅踏切事故
JR東日本成田線・久住-滑河駅間の大菅踏切において、普通列車と過積載により下り坂でブレーキの利かなくなったダンプトラックが衝突。電車の運転士1名が死亡。この事故後JR東日本では113系、115系の前面強化工事(いわゆる鉄仮面化)が施された。更に運転士の救助活動に手間取った経験からこの事故後に設計された209系、E217系、E231系では事故時の運転士のサバイバルエリアを確保すると言う目的から運転室の面積を従来車に比べて大きくとられている。なお当該踏切は事故後立体交差化工事が行われ廃止されている。
JR東日本の成田線久住 - 滑河間の大菅踏切(千葉県道103号江戸崎下総線)で、遮断機が下りていた踏切に進入していた大型ダンプカー側面に千葉発佐原行き下り普通1457M列車(113系電車4両編成)が衝突。先頭車のクハ111-1038は、前面を大破し、列車の運転士が死亡、乗客65名が負傷した。クハ111-1038は廃車になった。
殉職した運転士は直前に衝突を覚悟し、パンタグラフ降下による電源遮断などの安全措置をとっていた。
事故の原因は、過積載(最大積載重量8,750 kgの4倍もの山砂を積んでいた)のダンプカーが踏切の停止線でブレーキが効かず停止することができなかったことに起因するものである。法律上はダンプカー側の道路交通法違反であり、JR東日本は被害者的立場ではあったが、この事故は先の東中野事故と合わせて、当時のJR東日本の上層部を含む社内にも多大なショックを与えた。
これによりCMやポスターなど、車のドライバーに注意を呼びかける「踏切事故防止キャンペーン」を実施することになる。
衝突時点で運転士は生存していたが、当時の運転室は狭く、大きく潰れ変形した運転室からの救出は困難を極め、結果的に運転士は搬送途中で死亡した。房総地区ではこの事故以前にも同様の踏切事故で運転士が死亡する事故が発生しているため、本事故以後には113系など既存車両の前面に鋼板を追加貼り付けし強度を上げる工事(通称「鉄仮面」)を実施したほか、以降登場する209系量産車やE217系などにおける運転席背面からの脱出口の設置や運転室の拡大、衝撃吸収構造(クラッシャブルゾーン)の採用に踏み切るきっかけとなった。
踏切は事故後、大菅跨線橋の建設による立体交差化(平成10年竣工)に伴い閉鎖された。
この当時、本事故に代表されるような大型車の過積載による重大事故が多発していたため、翌1993年(平成5年)に道路交通法が改正され(平成6年5月施行)、過積載に対する取り締まりと罰則が強化された。ダンプカーの運転手は業務上過失致死で逮捕された。
またこの事故に際し、JR東日本は過積載ダンプカーの運転手らを相手に大破した車両の損害や復旧費用など総額1億3000万円余の賠償を求める民事訴訟を起こした。この裁判は、1998年(平成10年)10月26日千葉地裁において判決が下され、運転手、山砂の運搬を依頼した荷主、山砂を積み込んだ砕石会社、砕石会社従業員2名に対して1億円余の賠償を命じている。
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